信仰の証し「スリルいっぱいの毎日」
「アムラー」だった私が、町工場の奥さんになるなんて。
吉田恵里
私は名古屋で3人の子供を育てながら、夫が経営する小さな鉄工所の経理を担当しています。
昨年から、新型コロナウイルスの影響で製造業は大打撃を受けています。うちの鉄工所にもその影響が直撃して、売り上げが半分に。それ以下になってしまった月も通りました。
それでも、今が変わるチャンスじゃないか、と主人と話しているんです。これまでつきあいが全くなかった業種に販路を探してみたり、SNSを使って広告を作ったりと、日々新しい挑戦です。
全く不安がないと言えば噓になりますが、逆境に立ち向かう毎日に心がワクワクしてくるんです。こんなことは、神様にお出会いする前の私では考えられません。特に10代のころは、流行に乗り遅れないように、友達や周囲に合わせることに必死でした。
冷たい心に火がともる
17~8歳ごろの私は、当時の世間をにぎわせていた、歌手の安室奈美恵ふうのファッションをする「アムラー」で、極細の眉毛にルーズソックスの女子高生。ポケベルやPHSを片時も手放せませんでした。
それなりに青春を楽しんでいましたが、いつも心には虚しさがありました。周囲の目を気にしてばかりの自分。これからの人生は、何のために生きていくのか。そんな虚しさや不安を紛らわすように、遊んでいました。
私はキリストの信仰をもつ家庭に生まれ育ちました。でも当時の私は、神様といってもよくわからないし、信仰をもって生きる喜びを感じる体験がありませんでした。そのような時に、キリストの幕屋発祥の地・熊本で行なわれた集会に参加しました。
そして、手島郁郎先生や信仰の先輩たちが眠る霊苑(れいえん)を訪れた時のことです。周りの人は尊敬する信仰の先輩たちの墓前で感動しているのですが、私には関係ないように思えて、心は冷めていました。でも、その時にうたっていた賛美歌が、私の心をひっくり返してしまったのです。
罪をば犯して 神にそむき
敵する我さえ なお愛したもう
ああ神は愛なり けがれはてし
我さえ愛したもう 神は愛なり
この賛美歌は私のことを言っている、と感じました。世間でいう罪を犯したわけではありませんが、神様に背を向けようとしていた私。そんな自分でも、神様は愛していてくださる。それに気づいた時、私はうれしくて、人目も気にしないで泣きました。
それから手を合わせて心を神様に向けた時、頭に熱い手が按(お)かれたような感覚を覚えました。その手がぐうっと私を押し倒そうとするのです。私は、それが神様の愛だとわかりました。
すると、それまで感じたことがない喜びで心が満たされました。流行に合わせて生きることに自分の存在価値を感じていましたが、神様に愛されている自分に価値があるんだとわかり、虚しさは消え去っていました。
起業と出産
その後、同じ幕屋の信仰をもつ主人と結婚しました。結婚して1年がたとうとしていたころ、鉄工所に勤める主人が「独立する!」と、突然会社を辞めてきたのです。当時はリーマンショックのまっただ中で、周囲からは反対されました。でも主人には、以前から温めていた願いがありました。
主人は若いころに、すさんだ生活を送っていたことがありました。でも、主人を信じて一緒に祈ってくださる方たちや、仕事を与えてくださる方がいました。
その方たちの励ましがあって、自分の神様を発見する体験をして、更生しました。ですから、自分の鉄工所でも人生に行き悩む若者を受け入れ、一緒に仕事をしたいと願っていたのです。
その時、私のおなかには5カ月になる子供がいました。「この先どうなるのだろう?」と、その日は眠れませんでした。「神様、大丈夫なのでしょうか」と思っていたら突然、おなかの子が蹴ったんです。私はその初めての胎動が、天からのGOサインだと感じました。
神様が必要とされる鉄工所なら大丈夫だと、主人の願いについていく決心がつきました。こうして「吉田鐵工所(よしだてっこうじょ)」を起業しました。
大変でしたが1年1年を何とか乗り越えていた時に、私は3人目の子の出産を迎えました。切迫早産の帝王切開で、出産後に私は体調が悪くなって、死のふちをさまよう体験をしました。
意識ははっきりしているのに目が開けられず、だんだん呼吸ができなくなっていきます。このまま眠ってしまったら死んでしまうと感じて、「神様、助けてください」 と必死に祈りました。
すると朝になったら、すうっと目を開けられたのです。お医者さんからは原因不明と言われました。私は死ぬようなところから救ってくださる神様がおられることを、はっきりと体験しました。
現場を支えて
鉄工所の起業日は7月1日なのですが、毎年この日を迎えると、心からの感謝がわいてきます。
経理をしていると、資金面での現実を見せつけられます。朝に数百万円あった口座が夕方には数千円しか残っていない日もあって、これ以上、会社を続けていくのは無理かもって思ってしまいます。
そのような時に限って、いろいろな知恵がわいてくるんですね。こんなことは自分で思いついたんじゃない、神様が教えてくださった、と感じることがあります。
また、うちで働いてくれている従業員には、インドネシアから来た技術研修生が3人いて、中には家族を残して日本に技術を学びに来た人もいます。
技術を指導するのは主人の役目ですが、私は食事に呼んだり、子供も連れて一緒にボウリングに行ったりします。何より、この方たちが日本で孤独を感じないように、と心がけて接しています。
先日、この3人が「吉田鐵工所でよかった。社長が優しいですから」とうれしそうに話していたと聞いて、私のほうがうれしかったです。状況がもう少し落ち着いたら、従業員の皆さんと一緒に、社員旅行に行きたいです。
自分が町工場の奥さんになるとは思ってもみませんでした。若い時に押しつぶされるくらいに感じた神様の御愛は、今の私を支えてくれる原点です。そして、生きている現実の中で身の回りに起こる困難を乗り越えてきた体験、死の恐怖の中で叫んだ祈りは、この原点を強くし、揺るがないものにしてくれました。
こんなにスリルにあふれた人生を送るようになるとは思いませんでした。以前、虚しさが占領していた私の心は今、神様への感謝と希望であふれています。
吉田恵里(41歳)
生まれも育ちも東京。
ご主人の大能(ちから)さんとの結婚を機に、名古屋へ。1男2女の母。
こちらから、吉田大能さんが起業するまでの歩みを描いた動画を見ることができます。
本記事は、月刊誌『生命の光』816号 “Light of Life” に掲載されています。