信仰の証し「いちばん嬉しかったこと」
澤田良平
私が子供の頃、わが家はひどく貧乏で、父親は借金を作っては逃げ回っているような人でした。夜になったら恐ろしい借金取りが来て、戸口に立って大声で、「澤田良平君のお父さん、お金返さへんけど、どうなってるのかな?」って、延々と言ってくるんです。
それが周りに住んでいる同級生に聞こえていると思うと堪りません。思い出すのも辛い子供時代でした。
成長して社会人になり、職場の先輩に誘われて初めて幕屋の集会に集いました。聖書を読んだことも、賛美歌をうたったこともありませんが、寂しい生い立ちの私は、今まで味わったことのない温かいものを感じて、涙が止まらなくなる体験をしました。
ただその頃は私自身、キリストの救いを求めていたわけでもなかったので、だんだん足が遠のいてしまいました。でもそんな私のために、佐藤テルコさんという堺幕屋のご婦人が、祈りつづけてくださったんです。
キリストに賭けて
それから10年ぐらい経ちまして、妻の純子ががんの末期であることがわかりました。胃がんから始まってそれが体じゅうに転移していて、余命半年で、もう手術もできない状態です。家内は血液の難病を抱えていたので、抗がん剤治療もできず、全く手の施しようのない状況になってしまったんです。
そのことがわかった晩、家内と2人で泣きました。夢遊病者のように家の中をうろうろしている時に、ふと幕屋のことを思い出しました。
それで翌日、すがるような思いで佐藤さんのお宅に行きました。10年前に多くの愛をかけていただきながらも、不義理をしてしまった私だったのに、温かく迎えてくださったんです。そして事情を話しましたら、佐藤さんは、「神様は確実なんよ、確実やから!」と言って励ましてくださり、祈ってくださったんです。私は泣けてなりませんでした。
そこから私は立ち上がることができました。家内にも、「キリストに賭けて闘っていこう」と言って、それからがんとの闘いが始まりました。
「神様に出会った」
私は必死で祈りました。ある日、集会で熱いものに包まれる経験をして、祈りが止まらなくなってしまったんです。帰り道も祈りと賛美が溢れ、家に着いても止まらなくて、1時間も2時間も祈りつづけました。すると、不安だった心に平安な気持ちが与えられ、絶望のような状況でも希望が湧くんです。そのような、祈れば応えてくださる神様の臨在感があったから、私は辛い状況を乗り越えてくることができました。
神様は、家内にも働きかけてくださいました。がんが進んで、やがて自分では立っていられない状況になり、入院しました。具合も悪くなってきた時に初めて、家内は深刻な病状を自覚しました。「私、やっぱり死ぬんや……」と泣き叫び、一時は錯乱状態になって、会話もできなくなるようなところも通りました。
ところが亡くなる3カ月前、家内が突然、4人部屋の病室で泣きながら「天のお父様……」と祈りだしたんです。翌朝私が行くと、「神様は光になってここにいてくださるのを感じる。私は神様に出会うことができた!」と言うんです。
それから家内の心が大きく変わりました。自分が大変な状況なのに、「あの人どうかな、この人どうかな」と、他の人のことばかり気にかけて祈るんです。
一緒に入院していた女性が余命1カ月でしたが、その人の枕辺で、「神様に出会うってすごいことですよ」と言って伝道しはじめたんです。神に出会う、光に出会うというのは、ほんとうにすごいことなんですね。
家内が天に帰る直前、「光に向かって行くんだよ」と言ったら、「うん!」と答えたんです。その明るい姿に私はほんとうに驚きました。死の恐怖をも乗り越えしめる神の生命があるのを、目の当たりにしました。
父と思ってくれるだろうか?
家内が、がんとの闘いに勝利して天に帰ったことを通し、私はキリストの生命を見出しました。それから10年間、祈れば応えたもうキリストに励まされて生きてくることができました。また一人娘もこの信仰に導かれ、昨年(2018年)、同じ信仰をもつ人の許に嫁ぎました。
その直後、私は再婚の話を頂いたんです。それも、7歳の男児をもつ人だと聞きました。私には娘はいますが、男の子を育てるのは初めてです。
自分にできるだろうか? 私を父親と思ってくれるだろうか? と不安になりました。
でも、ある時聞いた手島郁郎先生の言葉を思い出したんですね、「自分の子供を育てることなら犬や猫でもする。でも他人の子供を育てることは、天使にしかできない」という言葉を。すると、「神様、自分を見たらとてもできませんが、どうぞ御心に歩ませてください」という祈りが湧きました。
その時、天に召された前の家内も、私が神様の御心を歩もうとすることを喜んでくれていると、凄く感じたんです。それで結婚させていただきました。
新しい妻のにじ子は、先の結婚で苦労し、母子家庭で子育てをしてきました。でも、息子の怜都(れい)のために父親が欲しいというだけではなく、神様が娶(めあわ)せてくださる人なら、と信じて私の許に嫁いできてくれました。こうして私は、初めて男の子の父親になったんです。
結婚して数カ月後の昨年末、その年最後の幕屋の集会で、司会者が息子の怜都に聞きました。
「今年いちばん嬉しかったことはなあに?」
しばらくもじもじしていた息子が答えました。
「お父さんができたこと!」
私は泣きました。
本記事は、月刊誌『生命の光』796月号 “Light of Life” に掲載されています。