信仰の証し「アスペルガーは天からの賜物(ギフト)」

―ボクは神様から愛されている―

足立 悠

私には、発達障害という、目には見えないハンディキャップがあります。それはアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)といって、知的障害を伴わない自閉症のことです。

教育熱心な親のおかげで、テストはいつも満点でしたが、通知表には毎年「授業中に人の話を聞いていません」と書かれていました。成長するにつれ、他人が普通にできることがどうしてもできない自分に気づきはじめ、「何かおかしい」と感じるようになりました。

皆が、「いただきます」と言う前に、衝動的にパッと料理を口にしてしまう。皆が盛り上がっている中、自分だけ別のことをしてしまう。それを注意されるとパニックになる自分。空気が読めない、人に合わせるという意味が全くわからない、等々。

それで大学生のころから、「生きづらさ」を感じるようになり、「生きているだけで誰かに迷惑をかけている」という重圧がどんどん覆いかぶさってきて、自分一人ではどうしようもないところまで追い込まれてしまいました。それで、何回も自傷行為をしました。

この「生きづらさ」の原因は、「アスペルガー症候群」という発達障害だと医師から診断された時は、正直ホッとしました。でもその当時(2008年)は、発達障害ということがまだまだ認知されていない時代で、大学でも職場でも、ほとんど理解されません。病院でもただ抗うつ薬をくれるだけ。周りの人の励ましも、「あなたは障害じゃない、安心しなさい」「人間誰だって多少は障害があるよ」と、見当違いなものでした。

それでも「教育者になりたい」という夢だけはありましたので、大学を卒業して学習塾に勤めはじめました。でも、障害からくるストレスや人間関係のこじれで、急に職場を辞めざるをえなくなりました。

永遠の否定に抵抗(プロテスト)

「結局、自分は何をしても無駄なのか。でも、もしほんとうに神様がおられるならば、どうか助けてください!」という思いで、四国のお遍路の旅に出ました。

四国の山道をフラフラになりながら歩いていた道中、地図をなくして困っていると、そこに『生命の光』が置いてありました。何か惹(ひ)かれて読んでみました。それには、隅から隅まで、あふれる喜びと、ありありと働く神様のことが証しされています。

「すごい! この退廃的な時代にあって、こんな本物の信仰をもって生きている人たちがいるんだ」と、震える思いで読みました。特に、手島寛郎(ひろお)氏の「永遠の否定と永遠の肯定」という、トーマス・カーライルの『衣裳哲学(サーター・リザータス)』についての記事は私の心に響き、火を灯(つ)けてくれました。

永遠の否定という悪魔は、地獄の苦しみの上に覆いかぶさって、「おまえは捨てられた者だ」と言います。カーライルはそれに対して、「私は、おまえのものなんかではない! 自由なんだ。そして永遠に、おまえを憎む!」とプロテスト(抵抗)します。

この時から彼の新生が始まります。この世の中には矛盾がたくさんある。しかし、そのような中にも祝福と公平さで満たしてくれる霊があるんだ。そして永遠の肯定はHappiness(ハピネス 幸福)を超えたBlessedness(ブレセドネス 恵福)、神様の手の中にずっと守られて生きつづけることができる恵福だ、と書かれていました。

それを読んだ時、「私はほんとうにカーライルのように、灼熱(しゃくねつ)のような信仰をもってこの永遠の否定に抵抗(プロテスト)していたか? 少し困難が続くだけで、すぐに立ち向かうことをやめて絶望に甘んじていなかったか? よし、やってやる! やってやるぞ! 私はどんな姿であっても、絶対的に神様から愛されているんだ!」

そう何度も自分に言い聞かせながら、お遍路の行程を歩きました。そして、「幕屋の人に会いたい」と思い、お遍路の最終地点に近い高松幕屋を訪ねました。

突然やって来た私を迎えてくださったのは、岡本さんというご夫妻でした。白装束姿で見ず知らずの私を家族のようにもてなし、10日も泊めてくださいました。それは、生まれて初めて喜びをもって信仰について語り合い、共に祈れた、それまで味わったことのない幸福な時でした。四国から戻っても、その温かい交わりの日々が心の奥から消えることはありませんでした。

失意の中で見いだしたキリスト

喜びと希望を与えられて、兵庫県の自宅に帰ってきました。でも仕事がことごとくうまくいかず、失意に沈んで、「もうこれ以上は頑張れない」と思った時、幕屋のことを思い出し、集会に行きました。

行ってみて驚きました。皆が「天のお父様!」と涙を流しながら、腹の底から心を込めて祈ります。すると末期がんの方が癒やされる奇跡が起きたり、また死を目前にしている人も死を恐れておらず、その葬儀は凱旋式(がいせんしき)のように喜びに満ちている。そのようすに、「ここには神様が働いておられる!」と実感させられました。

そしてこの信仰をもっと深く学びたいと思い、大阪幕屋の青年寮に3年ほど住まわせていただきました。

幕屋の友と一緒に(左から2人目が足立さん)

その間に参加した萩での幕屋の青年集会は、忘れられません。100人ほどの集まりでしたが、吉田松陰先生の教育に対する姿勢を学び、すっかり挫折していた教育への熱意が再び燃え上がるのを感じました。

そして皆と共に、「もう、自己否定の声に負けるもんか」と、無我夢中で祈りました。すると、キリストの霊が激しく私にも臨むのを感じました。
「ああ、私の神様!」と、込み上げてくる感激に、涙が滂沱(ぼうだ)と流れました。それは私にとって、決定的なキリストとの出会い、回心(コンバージョン)の時でした。

障害をも尊いものとして

私が『生命の光』を手に取ってから6年。キリストと出会ってからも順調な時ばかりではありませんでした。でも、信仰の友と毎朝祈りつつ過ごす中で、徐々に状況が変わり、障害に理解のある教育現場の仕事が与えられ、よき伴侶にも巡り合うことができたんです。

キリストは、私が絶望しかなく、でも死ぬに死ねなかった時に贖ってくださった。そして、いつも私を捕らえて離さず伴ってくださることを、日々実感しています。また、発達障害をも含めた私のすべてを無条件に肯定し、愛し、尊んでくださっている。キリストとお出会いすることを通して、アスペルガーも天から私に与えられた賜物(ギフト)なんだ! と思うんです。

私は今、障害のある子供をお預かりする教育施設で働いています。その子供たち一人ひとりの存在を丸ごと認め、その天分を育てていけるように祈りつつ携わっています。障害の特性が普通に受け入れられ、それぞれの夢をかなえ、活躍できることが当たり前だという社会を作ることも、私の使命だと思っています。

足立さん夫妻(自宅近くの公園にて)

本記事は、月刊誌『生命の光』2020年7月号 “Light of Life” に掲載されています。