建国記念日に寄せて「天を仰ぐ心の回復」

『生命の光』誌編集人 藤井資啓

建国記念日を迎え、わが家の玄関に国旗を揚げると、実に清々(すがすが)しい気持ちを覚えます。しかしその一方で、日本の現状はというと、この国には憂えることがあまりにも多いと、ニュースを見るたびに心が痛みます。

毎日のように各地で起こる残忍な殺人事件。止(や)むことのないいじめや性犯罪。モンスターペアレントの増加。SNSでの誹謗中傷など、行き過ぎた言論の自由等々。数え上げれば切りがありません。

社会のあらゆる面において起きているこれらの現象の背後で、かつての日本人がもっていた倫理観や価値観が大きく崩れてきているのを感じます。

その原因の一つに挙げられるのが、個人の権利や自由、多様性などの行き過ぎた強調にあるように思われます。それは、身勝手ともいえることがまかり通ってしまう危険性を孕(はら)んでいます。

かつての日本人は、自分のことが中心であるよりも、自分より上なる存在の天を仰ぎおそれる心、また、国や故郷、同胞を思う心をもっていたはずです。

◇ 宗教によって培われた心

敗戦後、日本の社会で大きく変わったことの一つに、宗教が生活の中から排斥されたことが挙げられます。戦後あまたの宗教団体ができたにもかかわらず、日本人の社会生活において、宗教はタブー視され、明らかに戦前のような影響力をもたなくなってしまいました。その弊害は決して見逃せません。

大正生まれの私の父は、特に宗教的というほどではありませんでしたが、それでも、正月には神社に詣(もう)で破魔矢を授かり、先祖の命日には必ずお坊さんを家に呼び、お経を上げてもらっていました。そのように、戦前の人々には、代々生活の中で伝わってきた神仏を敬い拝する、宗教的な心がありました。その宗教心が、倫理観や価値観の基となっていたのだと思います。

そうして先人たちに培われていた、天を仰ぎ、祈るという心。この心がある時に人々は自らを律し、敬虔で献身的な生き方を、それぞれが目指すべき徳としてくることができたのです。

◇ 原点に立ち帰る

建国記念日を迎えて、今一度「天を仰ぐ」ということを考える時、この国の肇(はじ)まりに思いが至ります。

そこには、光に満ちた高天原(たかまがはら)の、天上のみ思いを地上に現そうとした、天孫降臨がありました。記紀によれば、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はこの国を治めるために、天から遣わされました。その曾孫に当たり、初代天皇となられた神武天皇が志を嗣(つ)ぎ、数々の苦難を乗り越えて地の豪族たちを平定し、大和(やまと)に都を定められました。そして天上の心を地に現すべく、天皇を中心として平和な国造りをなされたのです。

私たちの父祖たちが大切に伝承してきた、この日本人の歴史の原点に立ち帰る時、私たちは、国のために祈りつづけてこられた皇室を尊び、一つの家族としてよりよき社会を築いていけます。日本民族がいにしえからもっていた、天を仰ぐ宗教的な心をもう一度回復することこそが、再び愛情と思いやりに満ちた日本の社会を築いていく道だと思います。

私は天を仰ぐ時、「ああキリストの神様、この国に生まれ、生かされていることが感謝です!」と、日本人であることの幸いをしみじみと感じてなりません。

個人の権利や自由を声高に訴えるのでなく、天を仰ぐ心を私たちが回復するならば、それは現代社会が抱えているさまざまな問題を根本から克服していく力となっていくことでしょう。国の再建は、その民族固有のよき精神の再興にかかっているのです。


本記事は、月刊誌『生命の光』828号 “Light of Life” に掲載されています。