信仰の証し「カザフスタンの花嫁」

宮川アルテナイ
兵庫県西宮市にお住まいの宮川アルテナイさんは、カザフスタン出身です。宮川さんはなぜ、日本で幕屋の信仰をもつようになったのでしょうか。(聞き手 長原眞)
――ご出身のカザフスタンとは、どういう国ですか。
宮川アルテナイ カザフスタンは、世界で9番目に大きい国です。
1991年のソ連邦解体によって独立した、割と新しい国です。鉱物資源が豊富で、特にウランの生産量は世界一です。
公用語はカザフ語とロシア語で、それぞれの小学校があります。私はロシア語の小学校に通いました。
イスラム教や、キリスト教の人たちも多くいますが、宗教的には寛容です。
私の生まれ育ったアルマトゥイは、カザフスタンの南東部にある大きな町です。かつては、シルクロードの中継地として栄えました。
――どうして日本に来ることになったのですか。
宮川 カザフスタンでよく聞いたのは、「日本人を見習いなさい」という言葉でした。日本人は礼儀正しくて、頭がいいし、優しい人が多いといわれていて、私はとてもあこがれていました。
それに日本のアニメが大好きで、小さい時は、「セーラームーン」とか「ポケモン」、少し大きくなったら、「ONE PIECE(ワンピース)」や「るろうに剣心」が好きでした。
大きくなって、日本について調べれば調べるほど好きになって、いつか日本に行きたい、と思って、町にある日本語学校に通って勉強していました。
言葉で表現すれば、アニメが好きだからとか、日本の文化に惹かれていたから、とも言えますが、でも、もっと深いところで、言葉では言い表せない何かが私を日本に呼んでいる気がしたのです。
日本で就職できた!
願いがかなって、16歳の時に日本に来て3カ月滞在し、日本語を学びました。日本に住んでみて、一生ここに住みたいなあ、と思いました。けれども、それはとても無理かなあって諦(あきら)めていました。
母は私に、「神様はあなたの隣にいて、見守っておられる。だから、神様を信じて願いつづけていたら夢はかなえられるから、諦めないで」と励ましてくれました。母は、特定の宗教の信徒ではありませんが、神様を信じていました。
19歳の時、たまたま日本で外国人スタッフを探している企業があったのです。ホテルのフロントで、外国人旅行者を接客する仕事でした。面接を受けたら、採用されたのです。たぶん、ロシア語、英語、日本語が話せるというので、雇ってもらえたのだと思います。
最初に派遣されたのは、沖縄のホテルでした。そこで4年間働いて、その後、京都のホテルに転勤になりました。京都で2年間働いていた時、主人と知り合って結婚しました。
心の転換点
――結婚を通して幕屋を知ったのですか。
宮川 そうです。結婚してから、主人が「一緒に祈ろう」と言うので、毎日、聖書を読んで、賛美歌を歌って祈っていました。結婚して1カ月がたったころかな、幕屋の集会に初めて行きました。
聖書の言葉をモチーフにしたイスラエルソングをみんなで歌いはじめた瞬間、心の中に何かが起こって涙が出そうになったのですが、必死にこらえました。でも、その時は、歌でこんなに気持ちよくなるんだな、というくらいでした。
主人は、「アルテナイに聖霊が注がれてコンバージョン(回心)しますように」と言って、毎日のように祈ってくれるのですが、私は、神様を信じているし、神様に祈ってきたという気持ちがあったので、聖霊を受けてコンバージョンするとはどういうことなのか、よくわかりませんでした。
それが、ある家庭集会に行った時でした。主人の友人がコンバージョンの体験を証ししていました。
「聖書のある箇所で、キリストが天国を、王が王子のために催す婚宴にたとえられている。婚礼に招かれた人たちは、だれも来なかった。それで王は僕(しもべ)を遣わして、町の大通りに行き、出会う人は悪人でも善人でも、みんな婚礼に連れてこさせた、と。それを読んだ時、自分もキリスト教に何の縁もなかった者だったのに、今は導かれてキリストを知った」と涙ながらに語られました。
私は聞きながら、涙が止まらなかった。痛いほどに伝わってきました。私もその一人かもしれないと思ったのです。
1週間後、いつものように主人と一緒に聖書を読んでイスラエルソングを歌いはじめた瞬間に涙が出てきて、「神様、すみません」という気持ちになりました。いすに座っていられなくなって、床に土下座して、「神様、すみません、すみません」と謝りつづけました。
最初は、なぜ自分が謝っているのかわからなかったのですが、後から考えたら、今まで自分は神様を信じているつもり、神様を知っているつもりだった。けれども実際は、神様を知ろうともしなかったんじゃないか。もしかしたら、神様を信じていなかったんじゃないか、ということを示されて、これまでずっとこんな罪の中に生きてきたんだということがわかった時に、謝るしかなかったんですね。
神様を身近に感じた。それは私にとって心の大きな転換点となったコンバージョンでした。それから喜びがずっと続いて、その喜びの中で、「私たちに子供が生まれますように」と2人で祈ったら、1カ月後に妊娠したことを知りました。そして生まれた娘に、主人が「愛(めぐみ)」と命名しました。神様の御愛によって授かったからです。

祝福は母の上にも
でも、コンバージョンしたからといって、それで満足していたらだめですね。
ある時、心の隙(すき)に何か悪いものが入ってきたような感じになって、自分のようすがおかしくなったんです。そんなことは、人生で初めてでした。
落ち着きがなくなってイライラして、よくない感情が自分の内にわいてくる。主人から「祈ろう」と言われても祈りたくない。放っておいてほしい。心が荒れる……。
主人が私のことを心配して祈ってくれた夜、夢を見ました。悪い黒い霊が、私に襲いかかってくるんです。それに立ち向かって戦っていたら、その悪い霊がスーッと消えていくんです。
目が覚めたので祈りました。次に見た夢は、白く輝く雲の中から、姿は見えなかったのですが、声がしました。「毎日、言葉に出して祈りなさい」と言うのです。今は、そのようにして祈っています。
――昨年、カザフスタンからあなたのお母さんが来られましたね。そして、幕屋の群れに聖霊が降(くだ)ったことを記念する集会に参加されたでしょう。その時、お会いしましたが、うれしそうで、顔が輝いて見えました。
宮川 母が日本に来たのは2度目です。最初に来た時も幕屋の集会に連れていきました。その時、言葉がわからないのに「イスラエルソングを歌ったら涙が出てきた。そして幕屋の人たちが輝いて見えた」と言っていましたので、今回もその大事な記念集会に連れていきました。
その集会では、私は娘の世話をしていたので、あまり通訳できませんでした。けれども、言葉の壁を越えて感じるものがあったようで、賛美歌を歌いながら涙が出てくるし、会場に満ちている聖霊が波のように押し寄せてきて、悪いものが流されてさわやかになった、と言っていました。日本に来る前に何かつらいことがあったようですが、帰る時は喜んでいたので、私もうれしかったです。
今思っているのは、自分に信仰があるから何があっても大丈夫と満足しないで、まだまだ信仰が未熟だからさらなるコンバージョンを求めつづけていきたいです。
本記事は、月刊誌『生命の光』865号 “Light of Life” に掲載されています。