随想「疫病と神の宮」

村山悦斎

中南米のインカ帝国やアステカ帝国などが、わずかな数のスペイン人に征服されてしまった要因の一つに、疫病があるといわれます。

アメリカ大陸の人々は、ほとんど接触していないユーラシア大陸由来の疫病への耐性がなく、数千万人が短期間のうちに亡くなりました。

中世に大流行したペストでは、ヨーロッパの人口の30~60%が亡くなったといわれ、社会構造が変わるほどの大惨禍となりました。

今年、世界を混乱に陥れた新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)は、私たちの生活に甚大な影響を及ぼしました。

株価は乱高下し、経済状況はあっという間に激変。国々は鎖国のように門を閉ざし、普段は人権を叫ぶ国で、東洋人は差別を受けました。

人間が築いた盤石に思える文明とは、目に見えないウイルスに振り回されてしまうほど脆弱(ぜいじゃく)なものなのだ、と知ります。

変わらない確かな世界はないものかと、私は聖書を開きました。疫病が出てくる記事がいくつかありました。そのうち、歴代志上21章には、ダビデにまつわる話が載っています。

麦打ち場が聖所に

一大王国を築き上げたダビデ王が、最晩年に神の御心に添わない人口調査を強行します。そのため、神はイスラエルに3日の間、疫病を下され、7万人が亡くなりました。

ダビデは己の非を悔い、異邦人のエブスびとオルナンの麦打ち場を買い取って、そこに祭壇を築き、燔祭(はんさい)を献げて祈りました。神は、禍(わざわ)いを下すことをとどめられました。

麦打ち場を買い取るダビデ

子孫から救世主(キリスト)が現れると預言された、信仰の人ダビデ。その最晩年になぜ、このような不名誉な事跡が記されているのだろうと思います。

しかし、やがて息子のソロモン王の代になった時、父王ダビデが買い取ったオルナンの麦打ち場には、主の神殿が建てられるのです。

そこは今に至るまで、旧約聖書に端を発する三大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって、特別な地となっています。

精神的な核を後の代へ

ダビデは己の非を悟り、こう祈りました。

罪を犯し、悪い事をしたのはわたしです。しかしこれらの羊は何をしましたか。わが神、主よ、どうぞあなたの手をわたしと、わたしの父の家にむけてください。しかし災いをあなたの民に下さないでください。

歴代志上21章17節

今回の事態が、私たち人間の非のゆえなのかどうか、私にはわかりません。もしかしたら、私には自分の非が見えていないのかもしれない。これは、私が自分の心の内に祭壇を築いて、神に立ち帰る時なのではないか。それだけでなく、ご自身には何の非はなくとも多くの人の重荷を負いたもうたキリストのお心を、もう一度深く胸に刻む時なのではないか、そう思います。

新型コロナウイルスによって亡くなられた方とご遺族に、心から哀悼の意を表します。また、仕事を失うなど、なんと多くの人が思わぬ痛手を被り、不条理な仕打ちに泣いていることでしょう。私も他人事ではありません。

しかしこの苦境を、私たちが天に目を向ける時ととらえるならば、それは、現代文明を信仰心の欠如という病から救う、大きなきっかけとなるのではないでしょうか。

多大な犠牲を払った後、エルサレムに神殿が建てられたという聖書の故事。それは私たちに、このことを通し後の世代に精神的な核を残すことができると、教えてくれているようです。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年7月号 “Light of Life” に掲載されています。