信仰の証し「クリスマスカードのメッセージ」
西岡智恵子
西岡智恵子さんは、熊本幕屋の聖日集会で毎週、賛美歌の伴奏をしておられます。西岡さんが賛美歌を弾きはじめると、心が清められていくようで涙が出てきます。その音色を聴きながら祈る時、心から祈ることができた、と何人もの方が言われます。今日は、西岡さんがどんなお心で弾いておられるのかを話していただきました。(編集部)
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音楽はずっと好きで、子供のころからピアノを弾いていました。キリストの信仰をもつようになったのは、高校生の時です。
肝硬変を患っていた父が、余命を宣告されるほど重症だったのに、幕屋の信仰に触れて回心したら、元気になったのです。それでも私は、信仰には全く興味がありませんでした。
クリスマスのころ、ある方が、私にクリスマスカードを下さいました。そこには、こう書いてありました。
智恵子さま
メリークリスマス!
昔、イスラエルにダビデという人がいました。牧童でしたが、神様の使いのサムエルに祈られると、勇気、力、そして信仰の人となりました。
ダビデは、音楽家でもありました。彼が琴を弾くと、狂った王の心をしずめたといいます。彼の琴の音は、人の心を清める力があったのです。それは、神様が彼の中に働いていたからです。
智恵ちゃんは、技術的に上手なピアニストであるばかりではなく、ダビデのような音楽家になってください。祈っています。
その方は首藤左門さんといいました。
福岡県行橋(ゆくはし)市のわが家に何度も足を運んでくださっていた、幕屋の伝道者の先生でした。私は、そのクリスマスカードを大事にしまいました。
ある日、首藤先生は春の嵐の中をバス停から走ってこられました。そしていつものように、父や母たちと一緒に居間で聖書を読み、賛美歌をうたっていましたが、その集会の最中に倒れ、天に帰っていかれました。隣の部屋にいた私も、大人の方々が次々に駆けつけた時のことを覚えています。父は首藤先生の生きぶり、死にぶりに衝撃を受けました。
その翌年、私も回心しました。父が以前、「キリストの神様に出会ったら、うれしくて木も葉っぱもすべてが輝いて見えたんだ」と言っていましたが、それと同じことが私にも起こりました。
それからは、父の運転するバイクの後ろに乗って、神様のことを伝えるためにあの方、この方とお訪ねすることが、私の喜びになりました。
洗濯の途中で聞こえた声
それから40年がたち、今は熊本に住んでいます。
7年前(2012年)のこと、歩く時に手足を交互に振ることができない、おかしいなと思い検査してもらうと、医者の診断は「パーキンソン病」でした。それから、私の人生の第2章が始まりました。
ちょうどそのころ、子供たちのことでも思い悩んでいました。ある日、洗濯物を干そうと思って階段を上っていたら、突然心の中に声が響いてきました、「これからは、わたしが直接導く」と。
はっきりした声でした。天からの声だと思いました。それを聞いたとたん、ああ、神様は最善しかなさらないお方なんだ、という確信がわいてきました。その言葉どおり、子供たちのことはよい方に向かっていきました。
それからは、いつも神様にお聞きしながら生きることが始まりました。身近な友達が、がんになって、神様、どんな心で祈っていけばよいでしょうか、と思って聖書を開くと、「わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46篇10節)という箇所が心に響いてきました。私も病気にはなったけれども、絶対大丈夫。彼女も大丈夫。
この「大丈夫」というのは、体がよくなるということだけではありません。神様が私の内側にやって来てくださった。この喜びに比べたら、心の葛藤も病気も全く平気と思える。何にもまさる喜びが私の中に与えられました。
それが今も続いているんです。
感謝と喜びを表したい
今は毎日の活動に合わせて、薬を飲んで調整しています。3時間たつと薬の効きめはなくなってしまうし、ずっと同じ姿勢を続けることはできません。
私は長い間、毎週日曜日には聖日集会の賛美歌の伴奏をしてきました。でも、今のような心ではありませんでした。病を得てからは、指が思うように動かないことも多いのですが、逆に、神様が弾かせてくださっている感覚があります。
私の全身を通して、神様への感謝と喜びを表したい。首藤先生は神様を伝えつつ、「主よおわりまで仕えまつらん」という賛美歌をうたい、祈りながら倒れられました。私も、このまま倒れてもいいから、賛美をしつづけたい、神様の生命が流れる管になりたいと願います。
あのクリスマスカードの言葉を今、実感しています。神様が私に願ってくださるのは、人前で上手に弾くことではない。神様を求める方々の心を、お1人でも慰めることができれば、と思っています。
本記事は、月刊誌『生命の光』802号 “Light of Life” に掲載されています。