年齢は宝物 最善はこれから!

NPO法人日本国際童謡館館長 大庭照子さん

シャンソンや童謡の歌手として活躍し、また日本国際童謡館館長として、童謡を世に普及させる運動を精力的に行なってこられた大庭照子さん(82歳)は、『生命の光』誌の熱心な読者です。
大庭さんは、NHK「みんなのうた」で『小さな木の実』を歌ったことをきっかけに、全国の小・中・高校でスクールコンサートを開いてこられました。今回は、歌手として、また本誌の読者として、今までの人生を振り返ってお話をしていただきました。
(取材・藤井資啓『生命の光』誌編集人)

若者の心に語りかける

大庭さんは、スクールコンサートで、若者たちにどのようなことを伝えてこられたのでしょうか。

これまで全国の3000校以上の学校で、スクールコンサートを行なってきました。コンサートの後には、生徒さんたちが私に感想文を寄せてくださるのですが、まずそれをご紹介します。

「大庭さんのお話で、心に残った言葉があります。それは『人生は思いどおりにはいかない』ということです。たとえどんなにつらいことがあっても、神様が与えられた試練だと思って、立ち向かっていくことが大事だ、ということがわかりました。私も人に元気を与えることができる人になりたいです」(中学1年生)

「先生は、人間というものを教えてくださいました。人を愛することを教えてくださいました。私も自分の選んだ道で、できる限りの夢をつかみ、学び、人を愛していきたいと思います。今日のコンサートは、私にとって一生残る素晴らしい財産です」(高校2年生)

これらはほんの一例ですが、私の歌や話が子供たちの感性にも届いたかと思うと、うれしいですね。

スクールコンサートは、小学校、中学校、高校のほかにも、特別支援学校や少年院でも行なってきました。そこで私が伝えたかったことは、「生きる」ということの意味、そして大切さですね。

童謡には、人の心を浄化する力、また喜び、悲しみといった豊かな心を育てる力があります。そこには、親子や友達、国や故郷への愛、国際交流、平和などを考えるヒントが含まれていると思っています。

私は、未来を担う子供たちがこれからの人生を力強く生きていくために、できる限りのことを伝えていきたいと思って、コンサートを続けてきました。

スクールコンサートで歌う大庭照子さん

私の人生の根幹は

いつから『生命の光』を読まれているのですか。また、どのようなことをお感じになっていますか。

私が幕屋の皆さんと知り合ったのは、当時お世話になっていた、エレクトーン奏者の第一人者・斎藤英美先生に紹介していただいたことからです。もう50年ほど前になると思います。

最近つくづく感じることは、今まで学んできた手島郁郎先生の教えが、私の人生の歩みの根幹になっているということです。今日までの私の人生は、ほんとうに厳しい道を歩んできました。事業の失敗や人間関係など、つらく苦しいこともたくさんありました。でも、それらを乗り越えてくることができたのは、『生命の光』のおかげだと思っています。

しかも、毎号の手島先生の聖書講話が、その時その時、私が直面している困難な問題に対処するのに、実にふさわしい内容なんです。それが不思議でしょうがないんですね。

私が今まで最も励まされてきたのは、英国の詩人、ロバート・ブラウニングの、
「老いゆけよ、我と共に! 最善はこれからだ。
 人生の最後、そのために最初も造られたのだ」
という詩を、手島先生が講義されたものです。

人間はだれしも年を取って肉体は衰える。けれども私たちの内側にある魂は、年と共に成長していく。それで、この地上にいる間に魂を成長するだけさせてから、次の世界に行くんだと。この講話を読むと、どんな時にも奮い立ちます。私はこのお話にどれほど励まされ、力を与えられてきたことでしょう。

人生思うようにいかなかったけれど、今はそれらの失敗もすべてよかったと思えるのです。失敗も財産、そして年齢は宝物だと思っています。年は取ってみてこそ、若い時には気づかなかったことがわかる、新しい発見ができるんです。40近くなったころは年を取ることを気にしていました。でもそうじゃない、老いゆけよ、最善はこれからだ! と教えていただいたことを通して、人生観が変わったんです。80代の今がいちばん花盛りです。

「赤い鳥運動」の継承

幕屋との出合いがなかったら、私の人生はとても大変でした。それで、私の家は日蓮宗ですが、どんな方が取材に来られても、「私は幕屋の『生命の光』から学んでいます」と堂々と申し上げているんです。

宗教は違っても、宗教心は育てられてきました。それは幼いころからの、母の教育のおかげだと思っています。だから私は、常に宗教に対しては非常に深い畏敬(いけい)の念をもっています。

また、戦争中はミッション系の幼稚園、高校は九州女学院(現ルーテル学院)、そしてフェリス女学院短期大学で学んできた私の心の底には、キリスト教の愛が基本にありました。そして、常に素晴らしい先生方との出会いがあったことは、今も感謝でならないです。

それから、『生命の光』が昨年新しくなって、とてもよくなりましたね。手島先生の聖書講話はもちろんですけれど、童話がまたいいですね。『生命の光』の童話は、私が「赤い鳥運動」の継承として取り組んできた「童謡運動」に通じるものを感じます。

「赤い鳥運動」は、約100年前に童話や童謡によって俗悪な環境から子供たちを守るために起こされた運動で、私は童話や童謡を通して、日本は変わっていくことができると信じています。

禍いをきっかけに

今年は、コロナ禍によって社会は大混乱しましたが、これを大庭さんはどのようにとらえておられますか。

このコロナ禍は、日本の社会にとっても非常に大きな変化を起こすきっかけになるんじゃないかと思います。ただそのきっかけをどうつかむのか、それは、それぞれが知恵を出さなければならないと思います。

日本は使命感をもって、もっと世界に日本のよき姿を発信していくべきだと思います。私は童謡を通し、日本はいかに素晴らしい国であるかということを感じてきました。日本人は他人に対する優しさをもっています。また、本当の平和を願っており、人間としての豊かさを共に分かち合うことができる、そういう発信が世界にできると思っています。

このコロナ禍によって、今、すべてが見直されていますが、私も自分を見直して、もう一度原点に帰ろうと思っています。仕事のことは後継者にバトンタッチすることができたので、まだあと5年は歌うことができそうな気がします。それでもう一度原点に帰って、しばらくお休みしていたスクールコンサートを、新たな思いをもって復活させたいと思っています。

実は3年前、母校のルーテル学院の創立記念に招かれて講演したことがあります。その後、私の講演を聴いた生徒さんたちから次々と、とても感動した、といったうれしい反応が届いたので驚いたんですね。

それでもう一度、若い人の心に語りたいと思っていたんです。そうしたら、このたびの自粛期間の時に、以前沖縄でお世話になった学校の先生からご連絡があったので、これを機にコロナ禍が収束したら、沖縄の学校から始めていきたいと思っているところです。

志はまだまだ半ば

大庭さんは、これから人生の晩年に向かうにあたって、どのような心でおられますか。

「老いゆけよ我と共に」、そして「年齢は宝物」、これが今の私の心の基本にあります。80代だからこそ、もてる使命があると思います。でもまたある時は、若い人に任せないといけない場合もあると思います。

最近、90歳の方から、「年齢は宝物と言われるけれど、やはり大変です」というお手紙を頂きました。もちろん肉体的には大変ですよ。でも心は若い人に負けていませんと、お返事したことです。実際私もイスから立ち上がる時は、「よっこらしょ!」と言わないとうまく立てません。

82歳という年齢は厳しいですけれど、80代になっても、志は最後まで豊かに広がっていくと感じています。ぜひ皆さんも使命感をもって、80代は80代の、また若い人は若い人の、それぞれの志をもって生きていっていただきたいですね。

今、私自身は『生命の光』を通して、もっともっと成長できるんじゃないかと感じています。私の志はまだまだ半ばです。この年齢で、志半ばだと感じられるのは、ほんとうにうれしいことなのですね。

今日は、若い者にも、また年配の者にも、大きな励ましになるお話をありがとうございました。今後のさらなるご活躍をお祈りしています。


本記事は、月刊誌『生命の光』2020年12月号 “Light of Life” に掲載されています。